「親」の覚悟・「子」の未来

今日は今までで最も厳しい事を書きます。不愉快に感じる方も絶対にいると思いますから嫌な方は読まないでください。
読んで不愉快になる方がいるとわかっていてあえて書くのは「親」が変わらない限り「子供」は変わらないという事をどうしても伝えたいからです。


子供の「我が儘」を許すのは「愛情」ではありません。
ルールを守ることを教えるのは「親」や「周りの大人」の責任です。
「嫌い」「疲れた」「やりたくない」それは「意志」ではなく「我が儘」です。

子供は「我が儘」を押し通そうとして「親」や「周りの大人」に闘いを挑んできます。
泣いたり、わめいたり、嘘をついたり、さぼったり・・・・
それを正面から受け止めるのは「面倒」だし「疲れる」でしょう。

親は仕事も家事も育児もあります。
「もう嫌」「もう面倒」「もう、うんざり」という気になってしまうこともあるでしょう。
それは当然です。親だって人間です、感情があるのです。
その事に引け目を感じる必要はありません。皆同じです。

恥じるべきは、その感情に負けて子供の為すがままにさせる事です。
親が子供を正すことを放棄したら誰がその子を正しますか?

「うちの子言うことを聞かなくて困っているんです。」
「言っても聞かないからどうしていいか、私も困ってます。」
「いけないのはわかっているんです。・・・」

最初から「困った子」はいません。
子の人格は「親」や「周りの環境」によって育まれていくのです。

「良い子」にするのも「困った子」にするのも「親」や「周りの大人」の関わり方1つなのです。

親の力が及ばない時、周りに協力を求めるのは当然です。
協力してくれる人がいるなら、積極的にお願いしていいと思います。
子供は皆で育てた方が良い子に育っていくものです。

昔は、近所の怖いおじさん、優しいおばあちゃん、雷を落とす先生、優しい先生・・・
親だけでなく周りの大人に褒められたり、叱られたりしながら社会性や道徳を自然と身に付けていきましたよね。
今は、残念ながら地域のコミュニティがその役を担うにはあまりにも希薄になってしまいました。

でも、まだ子供のことを真剣に考える学校の先生も塾の先生もスクールの先生もいます。

私もスクールでお預かりしている子供達は「うちの子」と思っています。
「うちの子」だから叱りますし褒めます。
「馬鹿者!」なんて昭和のお小言が飛び交う日々です。

でも、それが出来るのは親御さんの覚悟があってこそです。

「親」が匙を投げたら私は手も足も出ません。
私に出来るのはサポートだけです。
「困った子」は可能性をたくさん秘めた「素敵な大人」の種です。
「困った子」に必要な養分や水を与え、種が芽を出せるようにするのが親や周りの大人の責任です。

子育ての苦労は、子供がいてくれて初めて出来ることです。
苦労だけでなく子供が与えてくれる幸せも忘れないで下さい。

何人子供がいてもその子は1人しかいないのです。代わりはいないのです。
子供がどこにいるかも気にならないほど親が無関心になったら、その子は「素敵な子」に変わることは出来ないのです。

「子供」は何も持たずに生まれてきます。
「子供」に生きる知恵、生きる力をつけさせることは親の責任です。

お腹に命が宿った時、生まれた瞬間、貴方は何を思いましたか?
その瞬間を思い出して、もう一度目の前のお子さんと向き合って下さい。

「親」が変われば「子」も変わります。
貴方が変われば協力してくれる人は必ずいるはずです。

「困った子」が「困った大人」になるか「素敵な大人」になるか、そのカギを握るのは間違いなく親である貴方なのです。

 

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