先日、一人で食事をしていた時のことです。
店内が静かだったので、聞くつもりは無かったのですが
お隣のテーブルの女性達の会話が聞こえてきました。
二人の女性は小学校の3、4年生くらいのお子さんを持つママで
いわゆるママ友やクラスのお子さんのことを話していました。
ちょっと勝気な感じのママさんはどうもアンチ中学受験らしく
同級生の他のママが千葉の塾まで子供さんを通わせていることについて
批判的に話していました。
もう一人のママは受け身タイプの方のようで
「そうよね。可哀想よね。」と相槌を打っていました。
この方が聞き上手なので勝気なママさんはその後、どんどんテンションが上がり
ご自身の教育方針を力説されていました。
私はこのお二人の会話を聞いていて
「他所の家のことは放っておけば良いのに・・・」と思いつつ
心の中で、いちいち勝気なママさんの意見に突っ込み入れていました(お前もほっとけですよね)
ママさん 「今しか出来ない事をやらせてあげないと・・・」
私 「中学受験も遊びもスポーツもどれも今しかできない事だと思うよ。」
ママさん 「小さいうちから受験勉強させるなんて親のエゴよ」
私 「いやいや親のエゴで受験出来ないでしょう。ママも相当大変なんだよー。
子供が受験したいっていってるかもしれないよ。」
ママさん 「勉強ばっかりさせて子供が可哀想よ。」
私 「勉強好きな子もいるよ。塾が好きな子だっているし
遊べない=可哀想なんてちょっと短絡的すぎかな。」
私は、この勝気なママさんが悪いと言いたいのではないんです。
彼女だって勉強以外のことを優先させると決めるまでには
いろんなことを考え、悩んだはずなのです。
だから、彼女の家庭はそれが正解なのです。
そして、同様に受験をさせるママもそれが正解なのです。
子供を育てるのに、答えは1つではありません。
子供の数だけ答えがあっていいのです。一人として同じ子供はいないのだから。
「受験」でも「勉強」でも「スポーツ」でも「英語」でも何でもいいのです。
「音楽」でも「アート」でも「料理」でも子供が好きで一生懸命やれることをやらせてあげればいいのです。
自分の子が本気で好きな事を見つけてくれれば、それでいいのです。
あとはね、ときどきご家庭の選択に批判めいたことをいう方や批判めいた噂が聞こえてきても
気にしない事!迷わない事!流されない事!揺るがない事!
人の言葉に左右されて家庭の方針を変えることほど愚かなことはありません。
皆好き勝手は言いますが、だからと言って責任をとってくれるわけではありません。
ご両親ほど我が子を愛し、理解している人はいません。
大事なの事は一つだけ、子供が笑顔でいられるかどうか。
子供が笑顔で過ごせるなら、それが大正解なのですよ。