迷惑な母親だった私・・・
上の子は男の子でした。
特に長男神話の持ち主でもない私ですが
男の子は将来、奥さんと子供を養うのだから
しっかりとした教育をして
高学歴高収入になるように育てなくては・・・
勝手な理想の息子像を描いて
良い母親でありたい
そんな気負いが根底にあったのは否定できません。
自分は前の記事に書いたような
幸せな子供時代を過ごしておきながら
息子には、自由な時間を減らしてでも
様々な習い事をさせてきました。
もちろん、すべては彼のために・・・
それは、彼のためになったとも思います。
得たものもあります。
でも一方で、私が子供時代に得た
大事なことの多くは
多く取りこぼさせてしまったことも否めません。
まあ彼は、そんな中でも自分なりの道を少しずつ歩いてくれています。
ありがたいことだと思います。
今だからわかることがあります。
今の子供は皆、大人になる前に疲弊しています。
本当に大事なことを十分学ぶことなく・・・
既製品のように社会の規格に合うように
管理されています。
早く走れることより、泥団子が上手に作れることより
友達と喧嘩して仲直りすることより、探検をすることより
勉強が出来ること、人と同じであること
平均より少し上手に何事も出来ること
問題を起こさないこと・・・・が優先され
私も含む大人が、子供に小さな大人になることを
無意識に要求していたからです。
でも、生きていくときに
本当に必要な心の強さや自分を信じる力は
これでは育ちません。
人は一人では生きていけないのに
喧嘩もしたことが無ければ、本当の信頼など作れません。
世代間の交流もなしに、コミュニティは生まれません。
「人を殺してみたかった。」「好意を受け入れられなかったから殺した」
あるいは、集団で自殺するまでいじめたり、残忍な手口で殺害したり
そんな人として信じがたいことをする子供が世の中に表れたのは
人が子育ての行方を見失ってしまっているからという理由も
あるように思います。
赤ちゃんは、真っ白です。
その子がどんな色を付けるかは、本人の力もありますが
環境に左右されることは否定できません。
だから、私はこれから子供達に
私が子供の頃に感じた「キラキラ・ワクワク」を
届けたいと思っています。
怪我してもいいから、チャレンジしてほしい
泣いても、わめいてもいいから喧嘩もしてほしい
私が、「もー!」って叱りたくなるような悪がきになっていいから
子供と地域のみんなが集える場所を作りたいんです。
もう、あの頃の山や原っぱはありません。
でも、人はそこに住んでいます。
だから、おせっかいな大人がたくさんいて
悪ガキがたくさんいる場所を作りたいんです。
私の力は微々たるものです。
そんな場所を作っても、世の中の流れも変わりません。
でも、始めないと何も変わらない
気が付いた人から、種をまいていかないと
子育ての行方はいつまでも迷走してしまうかもしれません。
迷惑な母親だった私だからできるおせっかいを
まわりが嫌だと言っても
無理矢理にでもやける
そんな場所を作ります。
私におせっかい焼かれたい人が
1人でも多く来てくれることを願っています。